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今高野山レポート

甲山町を中心とする世羅郡の東半分は、平安時代の豪族・橘氏によって開かれた荘園で、平氏の勢力下で備後太田庄として栄えました。清盛の子の平重衡が、時の後白河院に太田庄を寄進しましたが、その後の平家滅亡後、1186年(文治2年)には紀州高野山根本大塔に寄進され、以後約270年間、高野山領として繁栄いたしました。爾来、新しい高野山という意味から今高野山といわれ、高野山の財源を支える重要な地として、龍華寺を中心に十二院が建てられましたが、現在は、福智院と安楽院だけが残っています。

広島県世羅郡甲山町
2003年04月10日
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