柳井レポート
柳井市は、山口県の南東部に位置し、古くから水陸交通の要衝として商業が栄え、江戸時代には「岩国吉川藩の御納戸」と呼ばれ、明治時代以降も瀬戸内海屈指の商都として繁栄しました。また、明治維新では、阿月の克己堂から秋良敦之助や白井小助などの多くの志士を輩出しています。 明治維新から戦後を通じても、山陽道の商業都市として発展してきた柳井は、昭和29年に市制を施行しました。 豊かな自然と恵まれた気候・風土のもとで、歴史と伝統に育まれた緑豊かな街です。また、都市機能を充実させ、周東地域(山口県南東部)の中心都市として発展を続けています。(柳井市HPより)
地図

山口県柳井市

2001年10月

柳井の中心部、江戸時代の商家が建ち並ぶ『白壁の町並み』。車を観光案内所の横に止めて、ゆっくりゆっくり歩いてみました、昔懐かしい、ゆったりとした時が、静かな時間が流れていくきます。

江戸時代中期(18世紀後半)に建造された、国森家の帳場。当時の商家の典型的な家造りが今もそのまま残っています。
国森家は、ともし油、びんつけ油を商い隆盛を誇りました。白漆喰の土蔵2階建て。当時多かった火災への備え、盗難や強盗を防ぐための工夫など、色々な仕掛けがされています。

佐川醤油蔵では、その製造工程を見学することができる。昔から使われ続けている大きな杉桶、醤油づくりの諸道具も展示してあり、醤油のかおりとともに、伝統の味にふれることができる。(観光HPより)

「むろやの園」は、油商として栄えた小田家の屋号「室屋」に由来する。江戸時代、50隻もの船を持ち、西は九州から東は大阪と手広く商いをおこなっていた西日本屈指の商家であった。敷地内には、主屋を始め、本蔵、勘定蔵、米蔵、道具小屋、中間部屋など、11棟35室もの建物があります。(観光HPより)

全国に手広く商いをしていた柳井の商人が、青森のねぶたをヒントに考案したと言われ、昔はお迎えちょうちんとして使われていたもの。和紙と竹ひごを使い、印象的な赤い色は「柳井縞」の染料を用いている。
少し横丁に入ったところに、土蔵を改良した素敵な喫茶店がありました。2階はギャラリー。写真は部屋の中から入り口の門を見た様子です。

地図の出所:電脳柳井観光案内所