吉田町歴史民族資料館

郡山城の麓に、平成2年3月オープンしました。歴史コーナーでは、原始・古代・中世・近代にわたって時代の特徴的なものを展示し、特に中世では毛利元就の生誕の地吉田郡山城跡他史跡を数多く紹介しています。民俗コーナーでは、かってのくらしや仕事に使われた民具を、その他、季節の行事、祭り、郷土芸能等もわかりやすく紹介しています。
毛利家墓所

元就墓所の下段で、洞春寺境内跡にあります。郡山初代城主毛利利時親以来歴代一門の墓が明治2年にここに改葬されました。狭域内は時親から8代豊元(元就祖父)までの合墓で、それぞれの墓は大通院谷にあったものです。広域内には、正面左から元就の兄興元とその子幸松丸と隆元の夫人の墓が並んでいます。
猿掛城跡

郡山城から北西4kmに位置し、毛利元就が4才の時、父弘元に連れられ本城郡山城から移り、27才で郡山城の本家相続までの青少年期をすごした城です。本丸は標高376m、比高120m、本丸の南側には土塁、堀切があり、出丸・物見丸そして山麓には館を配する中世の山城の特徴をもつ城跡です。麓には、元就の父毛利弘元と同夫人の墓が並んでいます。弘元は39才でこの城で逝去しました。
一力一心の碑

毛利元就が郡山城の築城の際に、人柱に代えて一日一力一心の大石を鎮めたという石の拓本を基にした碑です。礎石に「百万一心」と彫らせ、これは一日一日を、一人一人が力を合せて、心を一つに協同一致して事を行うことを教えたものといわれています。

発見!ひろしま観光ほっと情報HPより